近江大鳥橋について-その1-
どうもhassyです。
突然ですが、みなさんこの橋をご存知でしょうか?
ウィキペディアより
近江大鳥橋。通称栗東橋。滋賀県栗東市の南を走る新名神高速道路の一旦を担う橋です。形式はPC連続波形鋼板ウェブエクストラドーズド橋。詳しい緒言はウィキ参照。設計は弊社です。笑 幸か不幸か、デザインに興味のある人は高確率で訪れるであろうMIHO MUSEUMへの道のり最中に必ずその下を通り、「なんだこりゃ」的な印象を持った方も少なくないはず。
なんでこの橋に着眼したかと言うと、僕はこの橋が大嫌いだからです。
大嫌いだけど、なんでこうなっちゃったのかというところをきちんと考察してみようと思いました。
僕が思うに、この栗東橋は、「デザインとエンジニアリングが全くコラボレートしなかった典型的な例」として位置づけられるのではないでしょうか。
まずは、こう思う理由を簡単に述べていきます。。。
1.エンジニアの思想
橋梁と基礎2003.12月号に栗東橋の設計報告が記載されています。生態系への配慮等いろいろと考えられてはいるのですが、特筆すべき栗東橋の技術的特徴として、「ケーブル定着部の簡素化」があげられると思います。
具体的に言いますと、桁側の定着は鋼製ダイヤフラムを用いて力の流れを明確にし、かつ、コンクリート定着体に比べ自重を低減しています(図ー1、図ー2)。主塔側の定着についても、鋼製定着体を用いて、左右の斜材を同一平面上に配置することで、定着スペースのコンパクト化を図っています(図ー3)。
つまるところ、エンジニアの思想としては、とにかく簡素化(コスト低減)だった訳です。
かの先人たちもまた、無駄を省き、コストを低減しながら素晴らしい橋梁を設計しています。マイヤールはその証明でしょう(必ずしもコスト低減が良いプロポーションを生むとは限りませんし、まぁ、残念ながら日本の場合、縦割り行政うんぬんもあり、必ずしもコスト低減が良い方向に効いているとは言えません)。
とにかく、エンジニアの思想としてはsimple is the bestな訳だったのです。エンジニアの思想だけを反映した形を示しておきます。弊社設計の栗東橋のイメージです(図ー4)。まぁ、これがいいとも言えません。笑
2.デザイナーの思想
ところが、栗東橋の形はあるデザイナーの介入により一変します。アメリカのデザイナーTanja Wilcoxさんです。橋脚の造形を中心に手がけられています。栗東橋のデザイン思想をまとめた文献がありました。英語は不得意なので、きちんと理解は出来ていませんが、気になった点だけ参照します。
「the bridge were not yet sculptures in harmony with the natural forest landscape and the local community」
弊社設計の形に対するコメントです。まぁ、景観やってれば良く耳にする言葉ですが、すごく気になった単語が【sculpture=彫刻】です。はて?橋梁(土木構造物)は彫刻か?という疑問を投げかけたい。僕はそうじゃないと思う。しだっちどうだろう。笑
橋はアートじゃない。自分の思想を思う存分表現する場ではないのです。そんなのは他でやってくれと言いたいのです。
少し感情的になりすぎました。もうしわけ。
文献に戻ります。
「Inspiration came from the Jpanese lave for nature and bird. The design borrows the flowing lines of the nationally significant Japanese Crane,…」
こうした自然との調和や地域性といったものを考慮した結果出て来たのが、「鶴」です。
もう意味不明です。こんな事も書いてました。
「The crane is used in tapestry designs, paper designs, in logos, such as in an old Sake company, and is even represented on the 1000 Yen note.」
まぁ、そうなんですけど。。。
日本を象徴するものとしての鶴をモチーフに主塔が造形されたわけです。
ここで一度エンジニアの思想に戻ります。
出来る限り簡素化したかったのです。当然、鶴の造形はトップヘビーとなり、ハイピアの基部に大きなモーメントを発生させます。数値としてどれほどだったのかがわからないので、明確には言えませんが。。。
3.デザインの定義/エンジニアリングの定義
以上の様に、デザインとエンジニアリングが水と油の関係となってできたモノが栗東橋だということがわかって頂けるのではないでしょうか。ただ、Wilcoxさん自身は、この栗東橋がデザインとエンジニアリングのコラボレーションが生んだ橋だと供述しています。その理由として「エンジニアがCADで鶴の造形の図面を描いてくれた。」的なことが書いてました。すいません参照箇所を見失いました。笑 これでコラボレーションと言って良い訳がないのです。
Wilcoxさんのエンジニアリングに対する誤解(CADが使える)やエンジニアのデザインに対する誤解(なんか造形すげーけど、無駄で面倒くさい)が今現在も無いとはいえません。僕の実感では、エンジニアのデザインに対する誤解は根深いものです。
今、僕にも明確な答えはありませんが、土木におけるデザインとエンジニアリングの定義をもう一度きちんと議論すべきだとは思っています。あまりにも認識が違いすぎるのです。
以上、大雑把ではありますが、栗東橋についての考察を述べてみました。
その2では、エクストラドーズド橋の事例を当たりながら、もっと形の話をしたいと思います。栗東橋には他に良い解はなかったのかというところをざくっと書いてみたいと思います。